《モンテッソーリ教育について》





日本におけるモンテッソーリ教育


このまなびブログを読んでいただいている方にはご存知なことと思いますが、
つっつ君の幼児期を形成した
Minecraftを中心としたゲーム・YouTubeなどのネット文化を利用した教育方法は
やりたいことをやらせてあげるという、
確固とした教育理念がおとうさんとおかあさんにあったからです。

「やりたいことをやらせてあげる」という言葉で、
教育熱心な親御さんなら既に気づいているかもしれませんが、
つっつ君に施している教育は「モンテッソーリ教育」です。

2017年に日本中が沸き上がった若き天才棋士が受けた幼児教育が
モンテッソーリ教育だったということで、
その時に初めて耳にした方もいるかと思いますが、
モンテッソーリ教育の歴史は長く、
1906年に女性医師マリア・モンテッソーリがローマで保育施設を開設したことから始まり、
その後、欧米を中心に高い支持を得ている歴史ある幼児教育法なのです。

残念なことに日本では戦争の始まりそして戦後の第一次ベビーブームにより、
先生と生徒のマンツーマンが理想であるモンテッソーリ教育が日本で普及することはなく、
日本でモンテッソーリ協会が発足したのは1968年とだいぶ遅れを取っています。
発足後も第二次ベビーブームにより、
集団行動を基本とする日本の教育とは正反対であったため、
少子化となった今になってやっとモンテッソーリ教育が広く認知されるようになりました。

さらにもっとも残念なことは、
歴史に名を馳せる著名人がモンテッソーリ教育を受けていたということで、
日本におけるモンテッソーリ教育は
小学校受験や能力向上のために看板を掲げられていることです。

私たち夫婦はモンテッソーリ教育はもちろん、
それに近い理念を持った保育園・幼稚園を有名・無名問わず、
時間の許す限り多くの園を見学しましたが、納得するものはありませんでした。
日本モンテッソーリ協会では認定の教員資格免状を発行しておりますが、
世間ではモンテッソーリという名前だけが独り歩きをし、
ひどいところでは、
受験用のオプション保育でマンツーマンで受け持つ特別講師が免状を持っているだけで
他の幼児は特にモンテッソーリ教育でないのにも関わらず
モンテッソーリの看板を掲げているなんてところもありました。

そもそも日本では保育士になるためには国家資格を取らなければならず、
絵画・工作・音楽・ダンス・料理といった専門家が幼児教育の現場に常駐することが
難しい状況にあり、
「モンテッソーリ教育で使用する独特な玩具をただ取り揃えただけの集団教育でしかない」
というのが私たち夫婦の感想です。

本来のモンテッソーリ教育は、子どもたちに五感による様々な刺激を与える環境の場を整え、
子どもがやりたいことを見つけた時には、
その奥深さを知ることのお手伝いを先生がしてあげることです。
言葉にすれば簡単なことですが、
人手の足りない日本の幼児教育の現場にとってそれは困難なことなのです。

つっつ君と女の子


ある日、幼いつっつ君とデパートへ行った時、
そこに海外から来たであろうお父さんと小さな女の子がプレイコーナーで遊んでいました。
デパート内の小さなプレイコーナーのため遊具は少なかったのですが、
子どもはつっつ君とその女の子しかおらず、つっつ君は「遊ぼう」と言いました。
しかし、遊具を持った女の子から返ってきた言葉は「ダメ!」だったのです。

私はその時のお父さんの悲壮な顔を忘れられません。
拙い英語と日本語混じりで会話を交わしましたが、
そのお父さん曰く、
「日本に来る前はダメなんて言う子じゃなかった」
「〇〇しちゃダメと、自分のしたいことを否定語で言う」と…

その家族が国際結婚だったのか、一時的な赴任かまでは聞くことはできませんでしたが、
一時的なものであれば
インターナショナルスクールに今すぐ変えたほうが良いと伝えたかったぐらい、
日本の幼児教育の現状を知っている私にとってはとても哀しい出来事でした。

インターナショナルスクールは国際結婚や日本駐在員の子どもを対象にしており、
英語で先生とのコミュニケーションが取れることが前提であるため、
我が家では入ることは叶いませんでしたが、
その中で行われている教育は素晴らしく、
先生方の指導は児童の積極性を肯定してあげる素晴らしいものでした。

この日本にいる限り、先生は日本人であり、
その先生が受けた幼児教育が日本式の集団教育であり、
さらに否定語から入る文化で育った日本人が
いくらモンテッソーリの理念を叩き込んだところで、
子どもたちにモンテッソーリ教育を施すことなんて到底無理な話なのではないか
とさえ思ってしまいました。

モンテッソーリ教育の結果


結局、つっつ君は
私たちが本物であると納得したモンテッソーリ教育の施された園に入ることができ、
「やりたいことをやる」というエネルギーを持つ子たちの輪の中に歓迎されました。

「あの子はあれが好き、この子はこれが好き、そして僕はマイクラが好き」
それが否定されない環境は素晴らしく、
また、つっつ君がマイクラの他に、宇宙や生物について興味を持っているのも、
回りの子どもたちがそれぞれ持っている「好き」が影響しています。
お互いの好きなことを尊重して一緒になって好きになれる。
興味を広げ、知識を深めることが当たり前の世界。
それがどれだけ素晴らしい成果を見せたかは語りつくせないほどです。

そのひとつのエピソードを紹介させていただくと、
実はつっつ君は有名小学校へお受験したことがあるのです。
その時の課題が「ブロックを高く積み上げること」。
みんなが一斉に背伸びしながら、また倒れながらブロックをコツコツ積み上げている中、
つっつ君はただひたすら床に長く、自分の身長以上のブロックを連結させていました。
横と高さの概念が分からなかったのか、
それとも最後に一気に立ち上げるつもりだったのかは分かりませんが、
私たちはコロンブスの卵のようなつっつ君の発想に大変驚きました。
そして受験には失敗しても、まるで合格した以上の喜びを共有しました。
この独自の発想を貫き通す姿勢は、まさにモンテッソーリ教育ならではの賜物です。

モンテッソーリ教育は幼児期に形成しそこから発展させていくもの


モンテッソーリ教育は
子どもが興味を持ったものをとことんやらせてあげることで能力を向上させます。
しかし、もともとモンテッソーリ教育は知的障害児のために生まれた教育法であり、
有名ではあっても欧米においてもメジャーな教育方法ではないのです。
もちろん知的障害児でなくとも、
つっつ君のように好きなことに対し
並ならぬ熱意や集中力を持った子に対しては非常に有用ですが、
決して早期英才教育ではないのです。

幼児期を過ぎ小学校に通う年になれば、
時間割があり、集団で勉強することとなります。
それが出来ない生徒は特殊学級を勧められます。
幼児期に先生にとても褒められた行動が、一転して不出来な子扱いされてしまうのです。

つっつ君にとってもそれは非常に悩ましい問題でした。
しかし、幼児期にモンテッソーリ教育を施し、様々な人から応援され、
ネットでもリアルでも承認欲求を満たしたつっつ君は
心に一本の芯が通っていて、それが折れることはありません。
モンテッソーリ教育を施したからこそ、
現在のつっつ君は学校内で友達と仲良く集団で勉強し、
家に帰ったら自分の興味のあることに時間を費やすことができるのです。

もちろん現在のつっつ君は小学生ですので、
モンテッソーリ独特の色や形の様々な知育玩具は使いません。
やっていることと言えばMinecraftを中心としたゲームです。
けれど私はそれで良いと思っております。
なぜなら、モンテッソーリ教育の理念とは一過性の幼児教育ではなく、
社会に能力を還元できるその日まで続くのものであり、
つっつ君が大人になる過程の中で
今、マインクラフトで遊ぶことが必要なことだと親である私が判断しているからです。

モンテッソーリ教育を幼児期に形成したならば、
それを一生涯にわたり貫き通すことが親の役目であるとわたしは思うのです。


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